人がだいじ!だから干潟がだいじ!
(2)日本人と環境問題

木村 快(現代座代表)

 わたしはながいこと劇作の仕事をしている。劇作は人間の生活行動を描く仕事だから、いつも人はなぜそのような行動をとるのかを考えるわけだが、どうもわれわれ日本人の社会行動というのはわかりにくいところがある。同質の文化の中だけで暮らしてきた日本人は、自分たち以外の世界があることにあまり関心を持たなかった。したがって世界がどう変わろうとしているかに関係なく、自分たちの周囲だけを見て暮らしてきたとも言える。

 そんな日本人が今、経済グローバリゼーションの嵐にゆさぶられ、とまどっている。だが日本人は自覚していなくても、戦後の日本は完全に世界経済の中に組み込まれていたのだし、現在の生活もその所産であったはずだ。21世紀を目前にして、世界の中の日本人はどうあるべきかを問われているのだが、いざとなると、わたしたちは世界の中の自分を考えるべき座標軸を持っていなかったことに気がつく。

 これからは教育も、福祉も、高齢化社会も、世界的な流れの中で解決する以外になく、それはやがて、地球環境の保全が可能かどうかという座標軸に行き着く。人間が生きるということは他者とともに存在することであり、地球の自然によって守られることである。「ムツゴロウや野鳥と、人間の暮らしとどっちが大切か」といった発言は、自分の欲望のために子孫の生活環境を破壊して何が悪いかという居直りにすぎない。自然に対する謙虚さを失った社会では、子供たちの人格形成は不可能だろう。人格の形成は文化の継承によるものであり、環境に関心を払わない文化は人間という自然環境をも破壊するからである。
 イサハヤの未来は日本人の未来でもある。干潟を含む湿地の保全は「人間の生活も地球全体の生態系を無視しては成り立たない」という事実の国際的確認であり、日本人はこれをどう納得するのか。環境問題が21世紀を考えるキーワードであることは間違いない。


イサハヤ干潟通信第8号より転載*


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